京都いうと、うなぎの寝床と言われる町家が有名やけど、
京の街が今みたいになったんは、豊臣秀吉の時代なんや。
平安時代は正方形の碁盤の目、この碁盤の目の真ん中に道を通して、短冊型にしたんや。
寺も防衛の意味もあって、東側に集められた。そやから、寺町から河原町にかけて、今でも寺がぎょうさんある。
花遊小路のあたりは四条道場と呼ばれた時宗の金蓮時の敷地んところなんやけど、昔はたいそう立派な寺やったらしい。寺の中の寺院を塔頭(たっちゅう)言うんやけど、金蓮時の塔頭が四条新京極を上がったとこにある染殿院で、今でも残ってるで。
都名所図会 祇園御旅所 四条道場(安永9年(1780年)刊)